天気予報は雨

朝方は晴れ間が見え、その後も曇り空ながら雨はまだ降らんじゃろう…と思いつつ、砂川公園を通り抜け、道幅の狭い道で対向車を交わしながら、史跡調査が進む鬼ノ城の登山口へ。。駐車場はけっこう車が停まってて、登山から帰ってきた人や、これからの人もいる。
ビジターセンターでリーフレットをもらい遊歩道を歩く。。標高400メートルの鬼の城山に築かれた鬼の城の城壁をたどりながら進む。とたんにポツポツ

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もう乗り掛かった船!!傘をさし数分歩くと西門に着いた。謎の模様の旗が目立つ西門。。


早ぁ~♪楽勝~~♪謎の遺跡発見!!と言いながらリーフレットを見ると・・・・そこからが長いこと長いこと~延々と続くが・・・。
7世紀頃と推定される謎の遺跡☆なんでこんなところにあるん??って場所。。
もうすでにお腹が空いてきて、腹が減っては戦は出来ぬとばかりに、雨をしのげる大きな木の下でお弁当♪ここから先は行き交う人に会ったのはたったの一人。男性が反対方面から一人で登山してきた。。

木々には名札がついて、聞いたことも見たこともない名前。。山にはいろんな植物が自生している。。
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アップダウンの激しい道を歩く歩く。これはウォーキングというより完全な登山じゃろ~~!
岡山県15景地に指定された場所も雨が降ったため、霧が出て視界が悪い。。まるで雲海を眺めてるような気分。

北門、東門、南門、水門と約2,8㎞を歩き、ビジターセンターまで戻ってきた!日本版万里の長城だった。
~鬼の城について~鬼の城概要より・・。
桃太郎説話や「温羅(うら)伝説」の舞台として、古くから親しまれてきた鬼ノ城(きのじょう)。その築城の目的については、7世紀の東アジアは戦乱の時代。663年の白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦いにおける大和政権の敗北から、唐・新羅(とう・しらぎ)の連合軍が本土に侵攻するのではないかと危機感を抱いた当時の政権が、西日本各地に築かせた朝鮮式の古代山城の一つであるという説がよく知られています。しかし鬼ノ城は、『日本書紀(にほんしょき)』などには一切登場せず、築かれた時期についても様々な説があり、未だ多くの謎に包まれた遺跡です。。